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  • トリモダリティ治療の本丸、小線源治療

  • 投稿者:SANZOKU
  • 投稿日:2015年 5月27日(水)08時09分28秒
  • 編集済
 
 今回トリモダリティ治療の本丸、小線源治療を受けてきました。何故本丸かと言うと、この治療によって前立腺細部の処方線量を決定付けるからです。治療内容を見ていただければその意味がもう少し明確になると思います。これは小線源単独治療よりも処方線量が低いのですが、上乗せする外部照射の線量を差し引いた線量を正確に確保する必要があるので、単独より技術的に容易いということはありません。少々長いのですが、ご興味がある方はお読みください。

5/11(月) 小線源治療入院初日

 何時ものように昨日から泊まっていたK市のH宿を8時に出る。9時にS駅に着いたので迷わず歩いて病院に向かった。10時頃病院に到着。玄関脇の受付で手続きをして2D病棟に向かう。病棟はスタッフや患者さんで外来より活気が感じられた。スタッフステーションで入院手続きを済ませ、さっそく病室に向かった。病室は個室になっていてビジネスホテルのような作りになっている。入院衣は放射線を浴びるので病院貸与のものを使用する規則になっている。
 11時にはさっそく担当のO看護師さんが現れ、入院にまつわる情報を教えていただくとともに、検温や血圧測定を行う。以後退院までこれを1日3回以上行う。そしてやわら愚息を出して会陰部をバリカンでツルツルに剃ってもらう。その後は教えて貰ったローソンでT字帯とリフレ(大きなナプキン)を購入。その側にあった図書館で本を2冊借りてきた。図書は小さなものだが思った以上に蔵書があり、何かと楽しめるだろう。またその室内にPCが2台あって使うことが出来る。ただしボランティアのおばさんが居る11時から15時の間だけである。また病棟の談話室にはTVがあり、給水給湯機もあるのでペットボトルに水を確保した。ここには電子レンジやオーブントースターもある。
 室内に戻ると間もなく昼食が配膳されてきた。茄子の煮物に里芋、その他であったが、味付けが自分には合っていると感じた。そこへO先生が来られて、さっそく近くの別室で今回の治療の説明を受ける。まず今回の手術にまつわる説明である。手術中は半身麻酔で動けないが、話すと動きが伝わるので話さないように注意があった。プレプランに沿ってシード配置するが、それに加えて手術中は画像と放射線モニタ装置で一本一本修正しながらシードを挿入する。細菌を流すため、手術後3時間くらいすると水を飲んで排尿を促す。また夜寝るまで枕は使わない。これは脊髄液より軽い半身麻酔薬が脊柱を登って頭に達するのを防ぐためらしい。半身麻酔は5時間くらいすると醒める。そしてその後の日程の簡単な説明があった。
 次に副作用について、主なものは頻尿と切迫尿であって、外照射中に最も強くなる。その後3ヶ月でほぼ治まる。このため手術後α1ブロッカーという尿道を緩める薬を処方する。たまに尿閉を来す人がいる。血尿はもう少し頻度がある。また1~2年後に血尿や血便が出る虞がある。血尿はO先生、血便はK先生に相談することになるようだ。アジュバントのホルモン治療は3ヶ月~1年を予定しているが、自分の場合は短めを希望したので6ヶ月に決まった。今後のPSAの検査スケジュールは外照射後2年は3ヶ月毎、その後は6ヶ月になり、1年毎になるらしい。万一再発した場合はホルモン治療はせず、再発部位を確定した上で、その局所を放射線治療するということであった。自分が行う全骨盤照射という外照射は臍から下の転移し易い骨盤内リンパ節を網羅して叩くもので、これまで十数例の患者に行っている。同じトリモダリティでも異なる外照射の方法がある事に認識を新たにした。自分の場合は重症ということなのだろう。中間リスク以上の予後の帰趨は、ほぼBEDで決まるとのお話しであった。中間リスクでは200以上、高リスクでは220以上ということらしい。もちろん先生のところの技術で安全かつ一様にシードを配置することを前提にしている。治療後1週間は座布団に座っているような違和感があるかもしれないが、それまでに治まるらしい。
 余談になるが、この春から先生のところでは全国の医療従事者を集めて前立腺癌小線源治療学講座を開設されたようだ。まさしく先生の恩師ストーン先生が世界の医療従事者にその技術を伝授されたように、今度は先生のいっそう磨きのかかった職人技を広く伝授すべしという、熱い想いが伝わってきた。ちなみに偉大なストーン先生は既に退役され、タッグを組まれていた放射線科の先生も事情があって転出され、現在マウントサイナイには技術の正当な伝承者が居らず、誠に惜しい状況にあるようだ。従って先生にご尽力願い、この火を絶やさず、一層発展させていただくように願うばかりである。
 3時には放射線技師のYさんのところに行って、小線源治療が放射性シードを扱う治療である旨の説明を受ける。あまり例は無いが迷走線源や脱落線源などという言葉も耳にする。その場合の対処法についても教わる。また手術後は管理区域解除と患者自体の線量確認をした上で退室が許される。結局2度に分けて検査を行うらしい。
 夕刻は少し寛いで談話室のTVを観戦する。夕食はおかゆと小さな豆腐、海苔煮付けであった。その後は明日朝一番の手術を控えて絶飲食が言い渡される。夕食後30分ほどすると2リットルの下剤を飲むことになる。これは大腸内視鏡検査の前に飲むものと同じものである。自分は1時間半くらいで飲み終えたが、最後の500ccは寒気がしてきて辛いものがあった。飲み終えると同時に排便が始まり、こちらは全部で10回2時間あまりかかった。ようやく最後の便で与えられた便様表の透明に近くなった。これで心置きなく寝ることができると思うと直ぐに寝てしまった。


5/12(火) 手術日

 6時起床。洗顔間もなく血圧、体温測定。再び浣腸。昨夜あきれるほど出たのに再び激しい水様便がほとばしる。少し濁りはあるが固形物は皆無でこれで良しということになる。8時、水分と抗生剤の点滴開始。8時半、T字帯、血栓予防ソックスを装着しストレッチャーで手術室へ。軽快な音楽が流れる部屋には既に看護士2名とO先生、K先生がスタンバイしていた。
 9時、さっそく手術台の登り口付近に座り、海老のように背中を丸めて半身麻酔の注射を脊髄に注入する。これは結構痛い。思わず仰け反りそうになって先生に叱られた。しかし生検時には脂汗が出たが、こちらはそれほどではない。直ぐに足が熱くなり、痺れを感じる。そのまま15分ほど座っていると、足の感覚がなくなりピリッとも動けない。そして4人に担がれ例の足上げスタイルの手術台にセットされる。ふくらはぎを定期的に圧迫する機械が作動しているが、ほとんど感じない。麻酔は頭にも影響するようで少しぼんやりしている。
 続いて行われたカテーテル、経直腸超音波プローブ挿入は何時の間にか終了していた。その後、O先生とK先生で何やら相談して手術が始まったようだが、何時始まったのかさえ分からない。身体に伝わる振動や圧迫感のみを通じて、施術を想像するのみである。このようにほとんど何も感じないが、経直腸超音波プローブの挿入は画像を明確に撮るための非常に重要な要素であり、挿入方法にもノウハウがあるらしい。これ次第でその後の穿刺が正確に行えるか否かが決まってくる。
 続いて穿刺を行うが、これも誠に重要な要素である。穿刺すると前立腺は動いたり腫れたりするので、先に挿入した超音波プローブのリアルタイム画像を手がかりに、手先の感覚を駆使して前立腺の辺縁部ぎりぎりに穿刺してゆく。うっかりすると皮膜を突き破って迷走線源の原因となるので、先生の緊張が高まる一瞬である。穿刺が終わると、たぶんこの辺りで、例のO先生とK先生の「アクワイアー(acuire)」「はい」の小気味よい掛け声で、プローブを5mmずつ動かして3次元画像を取り込み、穿刺の状態を確認する。ちなみに穿刺はテンプレートという碁盤目状に配されたガイド穴に沿って行われる。この穴はテンプレートに直角方向のみならず、斜め方向の穴も空いていて、様々な前立腺形状に対応できるようになっている。そしてこれらの穴にはそれぞれ符号が振られていて、手術中に両先生間で何度もそれらしき言葉が飛び交う。この後患者の前立腺形状に応じて辺縁以外にも穿刺は行われる。
 これら穿刺は、事前にコンピュータにて線量シミュレーションを行い、線源を挿入した後は実際の線量を測定し、そして次の線源配置を決めるという手続きの繰り返しで慎重に進められる。前立腺全体が最低処方線量を下回ることなく、かつ尿道や直腸は所定以上の線量を越えないように行う。これらを具体的数値で書くと以下になる。前立腺全体を覆う最低処方線量は145~160Gy、105Gy~110Gy。前立腺の90%以上の部分で確保される線量は190~200Gy、135~145Gy。尿道体積の30%未満であって、その受ける最大の線量は200Gy、160Gy未満。上述の最低処方線量以上の線量を受ける直腸体積は0.5cc、0.2cc未満。それぞれ前者は小線源単独の場合で、後者はトリモダリティの場合である。患者によって前立腺や尿道、直腸の大きさや、形状、構成具合が異なるので、これら全ての条件を妥協なく満足する手術は容易ではない。
 10:30、自分の場合5本を右精嚢に、43本を前立腺に配置して全ての処置が終わった。施術の正味は1時間ほどであった。前立腺容積が16ccと小さかったので、用いた線源は11MBqと一番弱いものである。足を上げた状態で、1時間余りを過ごしたが麻酔のせいか思っていたより疲れはなかった。もちろん期待?していたような苦痛はまるでなかった。「手術が終わりました」「きれいに配置されています」との言葉に、1時間余りの沈黙を破って感謝の言葉が突いて出た。
 帰る途中レントゲンを撮り病室に帰る。ベッドに移し替えてもらった後は寒気がする。13時頃には微妙に足が動くようになり、頭もすっきりしてきた。14時から水を飲む。
 16時にはほぼ麻酔が切れて足が普通に動くようになるが、それとともに会陰が熱く感じられ、ひりひりするような痛みを感じる。18時半頃、私の手術に引き続き3名の手術を終えた先生が様子を見に来てくれた。今日の手術内容を説明してくださる。もしかしたら僕より先生の方が疲れているかもしれない。
 20時には会陰のひりひりは少し治まってきたが、カテーテルのため膀胱に少し痛みが出る。痛み止めの飲み薬で症状は緩和された。この日は終日、麻酔薬の頭への逆流を防ぐため枕なしでベッドに伏せっていたが、朝一番の手術だったので就寝時には枕が許可になる。

5/13(水) 入院3日目

 昨夜は思いのほか眠る。朝から起き上がっても良いというのでさっそく洗顔する。本日から痛み止めと抗生剤の錠剤を朝昼夕と服用開始(この後3日間)。また排尿促進のためハルナールを朝に服用することになる(この後1週間とその後はユリーフに変えて3ヶ月間飲み続ける)。立ち上がって椅子に座るとカテーテルの管に血尿が出てくる。会陰の痛みはないが、腫れを感じる。
 朝食前にK先生が来室。脱落線源の処置の説明と保管容器を手渡された。また小線源手術を受けた証明カードも渡され携帯するように注意があった。さらに大腸内視鏡検査時には前立腺裏の直腸は決してバイオプシーをしないでくださいと検査時に手渡す説明書も付けて注意があった。またO先生のお話では、痔の手術も難しくなり薬剤で対応する必要があるとのこと。だからと言って、術前に痔の手術をすると肛門が開きにくくなり直腸プローブが入らなくなると手術ができなくなる。また傷跡が治りきらぬ内に手術は不可能であろう。痔の問題を抱える人は、事前に先生と良く相談する必要があるだろう。その後次回ポストプランと外照射の手順について説明された。
 この日はカテーテルと点滴に繋がれ不快なこともあり不自由であったが、ベッドから起き上がることもできるので、図書で借りた本を読む。朝食も昼食も美味しくいただくことができた。しかしどうやら持病の頭痛が出てきたようである。
 15時にレントゲンとCTを撮る。このときだけは退室が許されるので、点滴とカテーテルを引きずりながら自分で検査室に行く。17時過ぎには点滴の針が抜かれ点滴終了。17時半ころO先生が病室に来られてカテーテル抜去。一瞬気持ち悪いが、その後は会陰の重苦しい症状がなくなり、身体にはほとんど症状らしきものが感じられなくなる。ようやく手術から解放された気分でリラックスする。この後の最初の排尿で痛みを訴える方も居られるが、自分はまったく痛みがなかった。また座っても会陰の違和感は無くなっていた。
 18時に2人の放射線技師の方が現れ、室内と身体の放射線レベルを確認する。もちろん問題のないレベルであったが、線量計の感度を最大に上げると、自分の身体から2~3mの範囲はアラームが鳴り放しになるので、ここでようやく自分は手術を受けたのだと痛感する。自覚症状ではあまり感じるものがない。この後、手術後始めてゆるめの排便が僅かにあった。

5/14(木) 退院日

 朝一番から退院に備えて気持ちが高揚している。8時過ぎに朝食を済ませた後は、9時半に昨夜と同じ放射線の測定がある。そして看護師さんの最終チェックを済ませると退室が許可になる。その後スタッフステーションで手続きを済ませ、会計で支払いを済ませたのは10時半であった。
 会計を済ませて驚いたのは、自分の支払い限度額にプラス1万5千円足らずであった。何時も思うのだが、ここの治療費は必要最低限のものにしていただいていると思う。元祖ワーキングプアーであった自分には非常にありがたいことであった。
 首に少し重ったるさはあるが、むしろ頭痛が悪化して、そそくさとK市のH宿に戻った。明日のホルモン注射の外来に備えるためである。3時のチェックインの時間を迎えるまで、河原や駅地下で過ごし、チェックイン後はベッドで1時間あまり眠る。ようやく少し改善して一心地着く。

5/26(火) その後の症状変化

 退院日は時々下腹にチクっと疼くような痛みが走ったが、その翌日にはほとんどなくなり、血尿もそれとともになくなったと思う。
 手術後に気づいたことは、ホルモン注射で意気消沈していた我が愚息が、久々に威容?を取り戻していることである。とは言っても、これは手術による腫れ、もしくは放射線による腫れと思われるので、あまり喜ばしきことではない。術後1週間過ぎると大分収まったが,ランニングをすると微妙に響くところがある。そして2週間経過するとほぼ治った。
 何よりも大きな変化は手術前にはエイリアンが暴発するかと思った症状が日々薄れていることである。その症状を詳しく述べると会陰を中心とした様々なものである。まず、前立腺そのものに腫れているような嫌な重苦しさがあり、下腹部を圧迫するような動作をする度に鬱陶しさがあった。次に下腹部右の盲腸付近とその対称位置の左に、様々な症状があり、軽重を繰り返すのである。ある時は痛み、むず痒くなる。またある時は拍動、そして妙に生暖かい知覚が出たりする。そして尿道に炎症感があり排尿時に痛みが走る時がある。また肛門の前側にも炎症感があり、ウオッシュレットで洗うと針で刺されたような激痛が走ることがあった。そして排便時には過敏な感覚がある。便意が異常に刺激されるが、残便感が消えない。当然頻便になる。1日3回などということもざらにある。さらに、左鼠径部には軽い痺れがあり、これが時には内股まで及ぶ。そして左仙腸関節から左腰骨辺りにかけて慢性的な痺れのような凝りがあり、毎日夕方になると辛くなってくる。
 これらの症状が入れ替わり立ち替わり、ある時は複合して現れる。もちろん強弱の波はある。半年の休薬期間を含め、ホルモン治療を開始してほぼ1年になるが、その間明かな改善は見られず、むしろ徐々に悪化していたのである。そして最後にはエイリアンが暴発しそうなくらいの感覚まで追い詰められていた。ところが小線源治療後2週間にして、それら症状はかなり枯れた感覚になり、最も無関係と思われていた仙腸関節から腰骨にかけての凝りまで軽快しているのである。小線源恐るべしとの驚きと、その効果に期待は高まっている。
 仮にこのような自覚症状が癌の進行と関わっているなら、ホルモン治療でPSAは低下していても、癌はしっかり何処かで進行していたのではないかと思うのである。だとするとPSAが低いことが、必ずしも癌征圧とイコールではないということである。またこれらの症状はここ数年というものもあるが、2~30年というものもあるので、もしかするとPSAより敏感なバロメータかもしれない。
 手術後、心配していた排尿障害は少し頻尿になったが、手術後2週間でほぼ治まった。術後の後遺症というのは先に述べたものだが、これも治まっている。頭痛はあったが、これは持病が麻酔で誘発されたものだろう。従って今は、ほぼ後遺症がない。そして術前の諸症状が軽快しつつある訳であるから、この手術は自分の身体にとって実に優しいものであり、かつ大いに期待を抱かせるものとなっている。